|
市立札幌病院歯科医師研修裁判
"失われた三年"と今後の行方
市立札幌病院における歯科医師の医科研修をめぐり医師法違反の罪に問われていた同救命救急センター元部長の医師、松原泉被告(57)の控訴審判決公判が三月六日、札幌高裁で開かれ、被告側の控訴は棄却された。同裁判が一定の節目を迎えた今、これまでの経過を振り返り、裁判における矛盾点を洗い出すとともに、今後の行方について展望する。
市立札幌病院問題のこれまでの経緯を表に示す。
平成十三年、札幌市が研修指導医である救命救急センター部長と歯科口腔外科研修医三名を医師法第十七条違反の容疑で札幌中央警察署に刑事告発してから、丸六年経った昨年十月四日に控訴審第四回公判が開かれ、最終弁論が行われた。約五ヵ月後の本年三月六日の判決に関係者の注目が集まったが、残念ながら控訴棄却の判断が下された。救急研修の必要性は認めながらも、法的な資格の違いを厳格に適用し、歯科医師には医師と同様の研修は認めないという首尾一貫した考え方を示した。
裁判の過程で、医師法第十七条(医師以外の医業の禁止)で規定されている医業と研修の違いについて明確な回答はなされなかった。今回の事件の発端となった「歯科医師の医科における研修」は、少なくとも麻酔科においては昭和三十年代から行われていたとされるが、公のルールは何もなく行われていた。そのような歴史・実態を顧みることなく、本件に関する一連の法的な判断をただ静観している厚労省の姿勢は甚だ不見識と言わざるを得ない。当時、研修に関するシステム自体がなかったことは国の不備によるものであり、責任の放棄といえる。
ガイドラインの矛盾点
本件を受けて、多くの施設で歯科医師の救急研修が中止され、混乱を生じたことから、厚労省は「歯科医師の救命救急研修ガイドライン」(以下、GL)の策定に着手し、平成十五年九月に公表した(本紙平成十五年十一月五日号に掲載)。医師の指導や介助があれば、違法性は問われないとする研修の範囲や方法を初めて示した。平成十六年二月には弁護側が同GLを証拠申請し受理された。平成十七年五月には、これを逆手にとるかの如く、札幌高裁は、公訴事実各行為をGLで示された基準に当てはめることにより違法性を判断する方針を決めた。このことが、この裁判の方向性を確実に決定づけたと考える。この事件を踏まえて作られた基準が、遡って適用され判断の材料になってしまうのである。そもそも、本件を踏まえてGLを作成しているわけであるから、厚労省の回答は当然「GLに照らして公訴事実すべてが逸脱」となった。なぜ、こんなペテンが罷り通るのか。これはあたかも、戦前の事件を、当時存在しなかった日本国憲法を基準に裁くようなものであり、論理矛盾も甚だしい。
失われた三年
平成十六年二月の控訴審初公判後、審理は約三年間中断した。札幌高裁は、公訴事実がガイドラインにどこまで適合するかを判断するとともに、歯科医療現場の実態把握を行っていたという。この間に社会は目まぐるしく変化した。看護師は医師の指示があれば、医行為(救命救急医療の現場においては救命救急医行為)を行うことが出来るようになり、救急救命士は医師の指示により、薬剤投与や気道確保等の救命救急医行為が出来るようになった。一般市民でもAED(自動体外式除細動器)を使用できる状況となっている。裁判所は、こうした社会の状況を見て考えたのだろうか。三年もの長い期間、この事件に関する記事がマスコミに登場しなかったことは、被告側にとっては大きな損失となった。最も大きなロスの一つが、社会の関心が薄れたことだ。一般市民は言うに及ばず、大多数の医療関係者の脳裏からこの事件の記憶が消えていった。
裁判の影響
札幌高裁は現行法に則った厳しい判断を下した。さらに、歯科医師の救命救急研修においてはGLを厳格に適用しないといけないと述べた。指導医が常に横にいて、GLから少しも外れてはいけない研修しか出来ないのならば、歯科医師は実際に直面する緊急事態に対し救命救急行為をする技量を身に付けられなくなる。真の救命救急の研修は、救命救急医療の現場でのみ可能なのは明らかである。歯科医師の研修が事実上制限されることになると、救命救急処置能力を持った歯科医師・口腔外科医の適切な治療を受ける国民の権利が奪われる。二審の判断が確定すれば、歯科医療の現場は大混乱となるだろう。
裁判の今後の行方
松原被告は、即日上告した。最高裁の判断で歯科医療の今後の方向性が決まる。最高裁は基本的に書類審査に基づいて判決を下すとされるが、裁判官に影響を与える手立てはないのか。あるとすれば、それは「国民の真の声」であろう。国民が何を望むのかを精査する必要がある。「歯科医師が救命救急医療を行って当たり前。そのためには救命救急医療の現場での研修が絶対に必要」という世論形成が出来れば、資格峻別論を凌駕する大きな力となって、判決に絶大な影響力を及ぼすと考える。
本会は、同裁判を引き続き支援していくとともに、世論形成の礎として、マスコミとの懇談を密に行い、研修問題について粘り強く説明していく所存である。今後とも、会員諸氏のご理解とご協力を切にお願いする。
|
表 市立札幌病院問題のこれまでの経緯
昭和30年代 全国の麻酔科での歯科医師の研修が始まる
平成元年頃 全国各地の救命救急センターで歯科医師の研修が始まる
平成8年 市立札幌病院救命救急センターで歯科医師の研修が始まる
平成13年6月5日 道新朝刊に突然「歯科研修医が専門外治療」の記事が掲載される
北海道と札幌市保健所が合同で同センターの事情聴取と調査開始
平成13年9月4日 札幌市保健所が厚生労働省へ疑義を問い合わせ
平成13年9月10日 厚生労働省が札幌市保健所へ医師法17条違反の疑いがあると回答
(医政医発87号)
平成13年9月12日 札幌市保健福祉局が市立札幌病院に指導書交付、医師法違反の疑いで被疑者特定せず、北海道警察に通報
平成13年10月4日 札幌市が研修指導医である救命救急センター部長と歯科口腔外科研修医3名、計4名を医師法違反容疑で札幌中央警察署に刑事告発
平成13年10月中頃 事情聴取開始(被疑者4名とその他100名近くの関係者)
平成14年1月10日 被疑者4名が医師法違反容疑で札幌地検に書類送検
平成14年2月12日 研修指導医の松原医師は起訴、歯科医師3名は不起訴
平成14年5月24日 初公判(札幌地裁、井口修裁判長)
平成14年6〜9月 第2〜6回公判
平成14年10月29日 鑑定人尋問(非公開)
平成14年11、12月 第7、8回公判
平成15年1、2月 第9〜12回公判
平成15年3月28日 一審有罪判決「罰金六万円」
『歯科医師の救急研修の必要性を認めたが、現在の法体系では参加
型研修は認められない』 即日控訴
平成15年9月19日 厚労省、「歯科医師の救命救急研修ガイドライン」(以下、GL)公表
(医政医発第0919001号および医政歯発第0919001号)
平成16年2月19日 控訴審初公判(札幌高裁、長島孝太郎裁判長)
弁護側が提出したGLを証拠申請し、受理される
平成17年5月 札幌高裁、公訴事実各行為のGL基準への当てはめにより違法性の
の有無を判断する方針を決定。裁判長名で厚労省医政局医事課長宛
に当てはめ評価に対する回答文書を送付
平成17年12月 厚労省より「公訴事実全てがGLから逸脱」との回答
平成19年2月22日 控訴審第2回公判
平成19年6月7日 控訴審第3回公判(札幌高裁、矢村宏裁判長)
平成19年10月4日 控訴審第4回公判 最終弁論
平成20年3月6日 二審有罪判決 一審判決を支持 被告側の控訴を棄却。即日上告
|
|